今日は事情があって、18日と19日の日記をまとめてアップしたいと
思います。

昨夜11時半頃帰宅すると、妹が病院へ行くと言い出しました。
我が家の愛犬、パピヨンの「翔吉」が調子悪そうで、
しっぽをだらんと下げたままで、歯茎が真っ白に変色していました。
翔はものすごくやんちゃなので、ここまで元気がないのは
余りに異常でした。
しかし、ご飯は喜んで食べ、散歩にも行っていたらしく、
本当に突然の出来事でした。
幸い、堺市に夜間緊急動物病院があるので、そちらへ電話し
急遽向かう事になりました。
#確か、夜間緊急病院は、色んな動物病院の先生方が交代で
 夜間の緊急を要する患者さんに対応されていると聞いた事が
 あります。

車を走らせ約1時間後、病院へ到着しました。
まず、エコー検査をすると、腹部に水がたまっている所見があり、
血液検査とレントゲン検査もする事になり、血液を採取しようと
したのですが、なかなか採取出来ません。
血液が採取出来ないという事自体、ものすごく異常な事だそうで、
この時点で、心臓疾患か、腹部に腫瘍がある事が考えられると
先生がおっしゃっていました。

そして、詳しい検査の結果が出ました。
肝臓に腫瘍が広がっていて、肝臓の数値が異常に高く、
腹部に水と血液が溜まり、貧血状態に陥っているという事でした。
今の体力では開腹する事も出来ないので、貧血状態を改善すべく、
腹部に溜まった水と血液を採取し、濃縮した血液を体内に戻すという
処置をする事になりました。
しかし、この血液には腫瘍細胞があるので、腫瘍細胞を身体中に循環
させてしまう事になるのですが、「今を生きる」という選択肢以外、
他ありませんでした。

命の期限が切られた瞬間でした。

点滴と輸血を施し、真っ白だった歯茎がピンク色に戻りましたが、
病院を後にする直前には、徐々に白く変色していってました。
また腹部で出血が始まっていたようです…
かかりつけの病院へ行くまでに、命がもつか、もたないかの所まで
期限が迫っていました。

処置をしてくださった先生は「ここまでの状態になっていると
普通はご飯を食べられません。だから、ご飯を食べられた事が
不思議でなりません。この子は本当に強く、腹水の処置の最中も
ずっと良い子でしたよ。本当に良い子ですね…」
と、目に涙を浮かべながらおっしゃっていました。
先生も、助からないのを解っていて、翔や私達の為に、最大限の事を
してくださいました。
閉院時間が5時なのですが、20分くらい過ぎていたのに、
最後までずっと面倒をみてくださいました。
病院から出る時も、見送りにまで来られて、本当に良い先生でした。
感謝の気持ちでいっぱいです。

6時過ぎに自宅に戻り、毛布を敷き、翔を寝かせました。
名前を呼ぶと、ちゃんとこちらを向いてくれました。
しかし、時間が経過するのに比例し、無情にも症状の悪化が
目に見えて解りました。
体が段々冷たくなってきました。
もう、かかりつけの病院へ行くには間に合わない。
行ったとしても、負担をかけるだけで、もう何も出来ない…
慣れない病院の冷たい診察台の上より、家の中で、家族4人で
看取る事を決めました。

そして、徐々に呼吸が辛そうになってきました。
遂に、体を支え切れなくなり、完全に横たわってしまいました。
名前を呼んでも、反応しなくなりました。
意識が朦朧としているのが解りました。
呼吸が完全に停止する瞬間、お父さんがいつものように口笛を吹くと
耳をピンと立て応えていました。

それが、最期の姿となりました。

3月19日8時50分、みんなに看取られて天国へと旅立ちました。
7歳の誕生日を迎えられず、余りに早すぎた突然の別れでした。

いつもやんちゃでやかましく鳴いてよく叱られていたけど、
人間が大好きで、誰にでもかまって欲しいと近づいていた翔。
人が大好きな故、もしかしたらしんどいのをずっと見せまいと
我慢していたのかもしれない。
私達が翔を想っていた以上に、翔は私達を想っていてくれたのかも
しれない。
本当に健気な子でした。
世界中探したって、あんな子は何処にもいない。

まだ、実感がわいてきません。
いつもいたケージの中が空っぽなのは、散歩に行っているから、
というようにしか思えません。

どっちみち、何十年後かは私もそっちに行くので、
また会える日まで、しばしのお別れです。
待っててくれよ、翔!

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JYO

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